建築家なしの建築

書評

原題:Architecture without architects

著者:バーナード・ルドフスキー(1964年)

日本語版:訳 渡辺武信(1976年)

概要

「建築家なしの建築」は1964年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された展示会および出版された書籍のタイトル。MoMAHPに展示会の様子がアーカイブされています。(https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3459?

著者バーナード・ルドフスキー(1905-1988年)はウィーン出身のアメリカの建築家でエッセイスト。出版時は59歳。

本書の序文で「これまでの建築史の正系から外れていた建築の未知の世界を紹介することによって、建築芸術についての私たちの狭い概念を打ち破ることを目指した」と述べる通り、本書ではそれまで建築史上で取り上げられることのなかった未開の地(西洋文明の及んでいない地域)に住む人々の自主建設およびブリコラージュ(その場合わせの器用仕事)による集落および家の図を載せ、そのような土着の建築に宿る叡智、環境に適応するための工夫を紹介しています。ちなみに、上の写真は本書にも取り上げられた島根県の出雲平野に見られる集落の1970年代の航空写真。(Web版地理院地図より)耕地の中に民家が散らばって点在する散居村の形態をとっており、敷地の北西に築地松(ついじまつ)と呼ばれる防風林を構える。築地松は一定の高さに刈り整えられておりこの集落独自の風景を作り出しています。築地松景観保全対策推進協議会HPhttps://www.tsuijimatsu.com/

本書が出版された1960年代は思想・哲学の世界で実存主義から構造主義への大転換が起きた時代です。構造主義は建築デザインの潮流と深く関わりのある思想であり、モダニズム建築の終焉とポストモダンの隆盛は構造主義の台頭と期を同じくしています。構造主義の父と呼ばれる文化人類学者レヴィ=ストロースは著書「親族の基本構造」(1949年)「悲しき熱帯」(1955年)「野生の思考」(1962年)を通して当時西欧において当時未開の地であった、アマゾン支流に暮らすいくつかの民族の社会を現地調査しそこに深遠な社会構造があることを西洋社会に知らしめ、同時にそれまで西洋において主流であった「西洋が世界の最先端であり、未開の社会は西洋より劣っている」という発想を批判しました。ルドフスキーは本書を通して同様の批判を建築界に投げかけたといえるでしょう。

1960年代の西洋中心主義批判

学び

・共同体があるとは?ー共同体を体現した外観があるということ。外観があるということはその共同体の領域が限定されているということ。

本書で紹介された建築(集落・民家)はそれぞれオリジナルの構成原理をもっており、その出立ちからその建築がある領域=1つの集団であることがわかります。外観がその共同体を体現しているわけです。また、外観があるということは輪郭、つまり集落の領域が限定されているということを意味します。共同体をつくることとその領域を限定することはセットになる。そのことは、たとえば、ドラマ「ウォーキング・デッド」を思い浮かべるとわかりやすいでしょうか?「ウォーキング・デッド」ではゾンビや略奪者から身を守るために、ある協力可能な人間でできた集団が研究施設、農場、刑務所、ゲイテッドコミュニティといった囲いのある領域に住みつきます。1つの建築形態と1つの集団が対応しているわけです。村の成り立ちから考えれば当たり前のことかもしれません。かつては図のように無法地帯があり、そこと共同体を分けるための人工または川や崖といった自然の囲いがあったわけです。

図 共同体の内と外

現代の日本では図の無法地帯は基本的にはなくなり、囲いが必要なくなったので実感しにくいかもしれませんが、定住と非定住が同時にあった時代の遺構、吉野ヶ里遺跡をみると集落に囲があり(環濠集落) 囲いに面して見張り台が建っていルことがわかります。また、戦国時代が舞台の映画「七人の侍」では自然の囲いのある集落を砦に侍と村人が協力して略奪者と戦います。共同体をつくることと領域を限定することは切り離せないことだったわけです。

吉野ヶ里遺跡の囲い 環濠集落

建築家、山本理顕は著書「権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ」において原広司研究室とともに調査をした集落について、その全てに言えることは

「“外面の現われ”が際立っていること」

と述べており、さらに

「外部の人に対する異質性の表現、内部の人に対する同一性の表現が“外面の現われ”なのである。私たちが調査した、“集落”と呼んでいる共同体の“外面の現われ”は、それが一つの「世界」であることの“表現”だったのである。」

と分析しています。またその“外面の現われ”の魅力の理由については以下のように述べます。

「それはそこに住む人たちの意志である。その強い形はこの場所に住み続けるという非常に強い意志表明なのである。遥か昔からここに住み続けてきた。そして、遥か先の未来までここに住み続ける。引き継がれてきた過去の記憶とともに住み続けるという意志である。共同体的な意志である。集落は一人一人の一生を超えて、それよりもはるかに長い時間そこに存在し続ける。その集落が、自分一人の一生よりも長くそこにあり続けるという確信こそが人々を結びつけ、だからこそ、共同体的記憶を伝達する役割を担うことができるのである。なぜこのように美しいのか。なぜこれほどまでに強い造形なのか。その集落が彼らの“共同体の記憶”を過去から未来まで伝達するための記憶装置だからなのである。“建築化された記憶装置”である。」

“外面の現われ”の参考 シバーム

Wikipediaより(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%A0

共同体で造った外観により共同体感覚は維持され、記憶装置として受け継がれたことで無法地帯がなくなった後も共同体感覚は維持された、ということでしょうか。

感想

近所づき合いがなくなった、地域活動がなくなった、というようなことを「共同体の崩壊」と表しているのを建築や社会学の本などで目にしますが、共同体がある状態を知らない世代からするとわかるようなわからないような言葉です。しかし、上に述べたことの裏を返せば、共同体が崩壊したというのはそのような共同体の「外面の現われ」がないこと、といえるかもしれません。アーケードがなくなると商店街が一気に衰退すると聞きますがアーケードという「外面の現われ」がなくなると共同体意識がなくなり協力関係がなくなるからではないでしょうか。ということは目に見える囲いや門を作ったら共同体感覚が戻るのでしょうか?アーケードのような屋根はなくとも、中華街に行くと赤い門が領域を示す役割を果たしていますが、地区の中の人たちには共同体感覚があるかもしれませんね。領域は祭りなどの際に、山車が回る範囲、祭りの飾り付けをする範囲として一時的にでも可視化されるということもあります。「外面の現われ」を再構築することは住民が共同体感覚を持つ上での鍵なように思います。

長崎中華街

誰になぜおすすめか?

・導入に

文章が少なく写真が多いので読みやすいという意味で建築学科1年生の人、または建築を学んでみたい人におすすめです。私が建築学科に入って一番最初に読んだ建築関係の本でもあります。人の家の話なのでなので西洋の教会の様式の話よりはとっつきやすいと思います。建築学科に入ったばかりなのに「建築家はいらない!」と思いかねないチョイスをしてしまいましたが、建築家とはなんぞや?という思いと建築家がいる・いないで何が違うのか?という疑問があったからだと思います。計画のある建築とブリコラージュ(その場合わせの器用仕事)の建築の違いがあるわけですが、計画をする建築家にとってもブリコラージュで建つ建築から学ぶことは多々あります。私はブリコラージュの建築に魅力を感じ、のちに集落や民家の研究をすることになったのでこの本の影響は大きかったかもしれません。

・卒業設計の種に

建築学科1年生向けと前述しましたが、卒業設計のお題の種にもなるので4年生にもお勧めできます。

・共同体感覚が再構築されるような街はどんなものか?

・もしくは共同体を現実の空間(ユニバース)に作ることは諦めて仮想現実(メタバース)に創るか?またはポケモンGOのような合わせ技か?その時の街はどんなものか?

・リモートが進み「仕事をするため」の場所がどこでもよくなったのなら、次は「ただ居るため」の場所がどんなものであるべきか?が問題になり、場所性が重要視されるのではないか?

などがお題として想像されました。共同体をどうのこうのという話はもう古いのかもしれませんが。でも、古いからダメというのは西洋思想に染まっているからかも。。。野生の思考的なただ、今があるだけという態度の設計は価値があるのではないでしょうか?西洋的思考でできた大学にはなじまない発想でしょうが。

合わせておすすめ

・権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ 著者:山本理顕 

「建築家なしの建築」は未開の建築への導入書として書かれていますが、本書は未開の建築から学べることを精緻に補強してくれます。本書から共同体における「外面の現われ」の話の一部を紹介しましたが、今回紹介していない「閾(しきい)という空間概念」の話と合わせて重要なので、共同体と建築の関係に興味のある方には特にオススメです。

20世紀の空間デザイン 著者:矢代眞己 田所辰之助  濱嵜良実

今回紹介した「建築家なしの建築」がどういった流れの中で出版されたのか含め、20世紀の社会の流れと建築デザインの関係が大まかにわかります。巻末に年表があり思想潮流と建築界の動向の対応関係がわかるようになっています。思想と建築のムーブメントをリンクさせて学ぶと記憶に残りやすいのではないでしょうか?学生の頃は思想潮流と建築の関係は気にしていませんでしたが、学びなおしてみると同時に学んだ方がある建築が注目された理由が理解しやすく面白いです。

・史上最強の西洋哲学入門 著者:飲茶

できれば学生の頃に読みたかった本です。西洋の思想やその歴史がわかれば建築史の理解も深まったと思います。オーディオブックもあるので建築のスケッチでもしながら聞くといいかもしれません。西洋哲学はある真理に向かって先人の哲学を打倒・継承する方式でできているため、ある思想を部分的に知ろうとすることは連続ドラマを途中から1話だけ観るようなもので理解が困難です。部分を知るにしても最初からの流れを大まかに理解する必要があります。哲学の流れを大まかにでも知りたい方におすすめです。

・ウォーキング・デッド(ドラマ)

共同体(社会)がいかに生成されるのかの思考実験をしているような面があり、本書に挙げられているような共同体(集落)がいかに創られたのか思いを馳せるのに一躍買ってくれます。

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